『家族』− 元DeNA・山本武白志が語る野球への想い(中編)

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覚悟

どんな季節であろうと武白志が甲子園にかける思いは変わらない。その日、九国は小倉高校との練習試合をおこなっていた。いつも通り試合を終えた武白志が帰宅すると、普段とは違う雰囲気を感じた。そしてその違和感は武白志を、そして家族を容赦なく襲った。父からの癌の告知。『流石にショックでしたよ。』と語る彼ではあったが、そこに一つの覚悟が生まれた。

『ただ、ある意味本当にスイッチが入ったって感じですかね。夏の(甲子園で屈辱をうけた)こともあったし、今回の父のことで改めてスイッチが入ったというか。それ以降は特別な想いを持ってやってました。他と比べることではないとは思うんですけど「俺より強い気持ちで野球やってるやついんのか?いねえだろ」って自信をもって言えるくらい本気でやってましたね』

父の姿や医者の話から考えると、おそらく父の先が長くないという事は武白志も感じていた。父は辛そうであったが、そんな父を見る武白志も辛かったと当時を振り返ってくれた。弱音とは少し違うかもしれないが、武白志がこういうことを言うのは滅多にないことである。それほどまでに、厳しい現実であった。それでも、武白志は、家族は負けなかった。武白志は周りのチームメイトには一切事情を話さなかった。父は階段を登るのもしんどい状態だったが、それでも試合を観にきてくれた。絶対になんとかしてやる。武白志一人でここまできたわけではない。家族3人6脚でここまできたのだ。ひたすらに強い気持ちを持って臨んだ最後の大会。その家族の想いは、甲子園での2打席連続本塁打としてかたちになったのであった。そんな高校時代を端的に振り返ってもらった時、武白志から最初に出たのは『楽しかった』という言葉だった。人生を賭けて、一生後悔しないように、本気でやり切ったからこその言葉だろう。これ以上言葉の真意を推測するのは野暮なことである。

甲子園での武白志

高校野球を引退した武白志は、今でも目を背けたくなるほどの『その日』を、いよいよ迎えることになる。

ドラフトというドラマ

幼い頃から野球は生活で、注目されることが当たり前で、その全てを結果で示してきた。甲子園を賑わせ、世間からの前評判は高かった。しかし、蓋を開けてみれば育成選手としての指名。側から見たら、夢のプロ野球の世界へ行けるだけでもいいのかもしれない。しかし、そこには武白志自身ではどうにもできない理不尽があり、今まではどこにいても1番期待されていた選手だった自分が育成選手としての入団という悔しさがあるのだ。もやがかかったような心境での入団となってしまった武白志は、今でもドラフト中継だけは目を背けたくなるという。

『ドラフト1位で、注目されながらプロ入りするのが夢だったんですよね。』

武白志は当時の心境を正直に教えてくれた。その夢が叶わなかったこと、前評判とはなんだったのかと不信感を抱いたこと、ドラフト1位になれるほどの圧倒的なものを持っていないということ、言い出せばキリがないほどの現実が一気に押し寄せる。そのマイナスな感情は表情にも指名の際のコメントにもあらわれてしまったという。『生意気な高校生だ』とバッシングされることも少なくなかった。思い描いた形では無かったかもしれないが、それでも家族でその舞台を掴み取ったのだ。

『甲子園での活躍もそうだったんですけど、やっぱりプロ野球選手になるということ方が「家族でやってきたものがやっと形になった」という思いが強かったですね。本当は支配下選手として行きたかったですけど、父のことがあったので育成選手でもなんでもいいから早くプロ野球選手になりたかった。プロとしての姿を見せられるのは今しかなかったんで。』

何かを成し遂げた時、それは決して一人だけの力ではない。そしてそれは綺麗事だけで終わる話でもないということ。しかしそれをよくわかっている人間は、強く美しいということ。武白志はプロ野球の世界で、まだまだ強くなっていくのである。

後編へつづく。

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ライター紹介

三重県伊勢市出身。文藝春秋で2年ほどコラムを書いた経験から、文字を通じて伝えることの楽しさを学ぶ。同誌で2022年度コラム部門新人王受賞。自身をはじめ、様々な人の人生から得た学びを伝えていく。