『やる気とか、そういう問題じゃない』元巨人・池田駿が語る公認会計士試験に合格した極意(前編)

スポンサーリンク

『自力でモチベーションを保つのは限界がある。大体のプロ野球選手だって、本当は球場に行くのが嫌じゃないですか。でも…』

何かの分野で結果を出す人は、常にモチベーションが高かったり、甘い自分に打ち勝つことができたり、そんな人ばっかりだと思っていないだろうか?

今回お話を伺ったのは、公認会計士試験合格者の池田駿さん。巨人や楽天で活躍された元プロ野球選手である。元プロ野球選手が公認会計士試験に合格するのは異例中の異例であるが、なんと彼は引退後約2年でそれを成し遂げたのである。

プロ野球選手になることや公認会計士試験に合格すること、人生の節目節目で結果を出してきた池ちゃんは、当たり前だがストイックな生活を送ってきた。しかし、その根底にある考え方は決してストイックではなく、どちらかというと自分に甘くなりがちな人のものだった。

弱い自分に勝つための考え方。池ちゃんのこれまでの人生を紹介していくが、そこに散りばめられた『極意』を、ぜひ見つけていってほしい。

池田投手(写真は全て本人提供)

きっかけは追っかけ

池ちゃんが野球を始めたのは小学3年生のときだった。父や2歳年上の兄が野球をやっていたこともあり、池ちゃんが野球を始めるのはいわば運命のようなものだったのかもしれないが、その心中は穏やかではなかった。

『半強制的に野球をはじめることになったんですけど、兄がめちゃくちゃ上手かったんですよね。センスマンですよ。僕はセンスはあんまなくて「がむしゃら系」だったんで、兄と比べても全然ダメだったんです。父はコーチをしていて、怒られまくりでした。正直嫌でしたね(笑)』

嫌々ながらも野球を続け、中学生になった池ちゃんは野球部に入部する。しかし、この入部もある種の消去法的な進路選択であった。 

『中学が学年30人くらいの小さな学校だったので、部活の種類も少なかったんですよね。その中で選ぶなら、まあ野球かなって感じで、流れで野球部に入りました。』

流れだろうと消去法だろうと、なんにせよ兄と同じ野球部に入部した池ちゃんはさらに兄への憧れを加速させる。兄は中学時代の活躍が評価され、推薦で明訓高校に進学することになった。後に池ちゃんも明訓高校に進学するのだが、明訓高校を選ぶ理由となったのはやはり兄だった。

『(明訓高校を選んだ)きっかけは追っかけですね。兄と同じところで野球がしたいと思ったので。ただ…』

憧れの兄がいる明訓高校に進学したい。兄ほど上手くはないけれど、自分も挑戦してみたい。初めてといえるほど野球に打ち込んだ。

しかし、その思いとは裏腹に、事態は予想もしていない方向に進んでいくのである。

『兄はもう着いてきて欲しくなかったみたいで(笑)。明訓高校で行われる野球の試験の日程を教えてくれなかったんですよね。だから、勉強で行くしかないなって。めちゃくちゃ勉強しましたよ。』

自分も推薦で明訓へ行くんだ、そう意気込んでいた池ちゃんには思わぬ事態だったが、この出来事が後の池田駿を形作ったとも言えるだろう。なにはともあれ、池ちゃんは『勉強』で明訓高校への進学を勝ち取ったのである。

明訓高校時代➖自力の限界を超えていく

無事に一般入試を突破した池ちゃんは、晴れて明訓高校硬式野球部に入部する。ただ兄を追いかけてやってきたこの高校の野球部は、自分のレベルよりも遥かに高いレベルで野球をやっているとわかっていた。それでも明訓を選んだのだ。当時の心境を池ちゃんに聞いてみると

『正直明訓では(野球のレベルに)着いていける気もしなかったですし活躍できる気もしなかったけど、入ってしまえばやるしかないじゃないですか。自力では限界があるんで、ちょっと上のレベルの環境に飛び込んでみようと。強制的な環境になんとかついていって能力を伸ばせるように、と思ってました。ビビりすぎず、ガッツ出して行こうって感じですね!』

高校生の少年が、もっと言えば中学3年生の少年が己の限界をしっかりと見極め、それでも高みを目指すために『環境』をしっかり選ぶということをやってのけたのだ。『俺はできる』と『俺だけではできない』の絶妙なバランスをいかに調節するか。その手段として、厳しい環境に身を置くことを選べる人間がどれほどいるのだろうか。

池ちゃんの野球人生は、素晴らしい風向きの中で始まった物語ではないのかもしれないが、向かい風は後ろを向けば追い風にだってなるのだ。明訓高校入学当初は厳しい環境ではあったが、肩の強さを買われて投手に転向した池ちゃんはメキメキと頭角を表した。その結果、高3の夏の大会ではエースとして甲子園でベスト8まで勝ち上がるにまで至った。

環境が自分を変えてくれることを身をもって体験した池ちゃんは、今後の人生においてその極意を存分に振るっていくのであった。

やるしかなかったプロ野球選手時代

高校を卒業後、大学、社会人を経てプロ野球選手となった池ちゃんは、変わらず環境の大切さを教えてくれた。

『自力でモチベーションを保つのは限界がある。大体のプロ野球選手だって、本当は球場に行くのが嫌じゃないですか。でも…』

私は電話越しに大きく頷き、池ちゃんの言葉を聞いていた。

『球場に行ったらやるしかないじゃないですか。周りの選手もみんなやってるし、やらなきゃ終わっていくだけじゃないですか。とにかく球場行ったらスイッチがバチって入りますよね!自力では無理です(笑)』

私は変わらず大きく頷いていた。プロ野球選手だって、必ずしも高いモチベーションを維持しているわけではないのだ。むしろ私の知る限りでは、池ちゃんのようなタイプの選手が多いように感じる。

ただ、やるしかないのだ。やめたら終わってしまうのだ。そんな世界なのだ。

そういう環境が自分を強くし、ライバルを強くし、それでいてプロ野球という美しく残酷な世界が作り出されるのだ。高校時代から変わらない池ちゃんの考え方の根底にあるものは、プロの世界でも十分に力を発揮してくれた。

もちろん、どの世界でも一度やめたら終わってしまうのかと言われれば必ずしもそうではない。自分のペースで、たとえ一度やめてしまったとしても取り返しがつくようなものも多くあるだろう。まさに、池ちゃんがプロ野球選手引退後に挑んだ公認会計士試験はその一つと言えるだろう。

では、自分のペースでできることは、強制力のあるものや環境よりも楽なことなのだろうか?

その答えに悩んだ公認会計士試験への道のり、究極の環境づくり、それらの葛藤を後編でお伝えしていく。(後編はこちら

スポンサーリンク

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

シェアしていただくとありがたいです!
  • URLをコピーしました!

ライター紹介

三重県伊勢市出身。文藝春秋で2年ほどコラムを書いた経験から、文字を通じて伝えることの楽しさを学ぶ。同誌で2022年度コラム部門新人王受賞。自身をはじめ、様々な人の人生から得た学びを伝えていく。