『なぜ学校の勉強をしないといけないの?』を元プロ野球選手が解説してみた

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 新学期がもうすぐそこまでやってきてますね。新しい学年になり、勉強についていけるか、不安を持っている方も多いのではないでしょうか。

そして勉強といえば、皆さんも今までに一度はこんなやり取りを見たことがあるのではないでしょうか。

『ねえ、なんで勉強しないといけないの?学校で勉強したことなんて大人になったらほとんど使わないじゃん!』

確かにその通りですよね。子どもからの質問に答えが詰まってしまった方も多いのではないでしょうか。学問に携わる方を除けば、大人になってから円の面積を求めたこともなければ漢文を読むこともないという方がほとんどだと思います。ちなみに元プロ野球選手の私ですが、学校で勉強した内容が直接的に競技で役に立ったことはほぼありません。それでも、学校の勉強はしなくてはいけないと感じています。義務教育の期間は尚更です。なぜなのか、その答えを簡潔にお話していきます。

目次

なぜ学校の勉強しないといけないのか、その前に

 この理由を説明する前に、二つの考え方を紹介させていただきます。それは『勉強する必要がある』ということと『勉強しなくてはいけない』は全くもって意味が違うということです。

勉強する必要がある状況というのは、受験で使うから、仕事で使うから、資格が欲しいから、もっと深く物を知りたいなど様々な理由がありますが、どちらかというと自ら率先して行うものです。はっきり言ってやりたくなければやらなくてもいい状況のものです。

これに対し、勉強しなくてはいけない状況というのは、自分がやりたかろうがそうでなかろうが向き合う必要のある状況だと考えてください。特に義務教育期間の小学生や中学生はこの状況ですね。勉強をしなくてはいけないのです。ただ、なにもガリ勉になれとか勉強以外はなにもするなとか、そういう話ではありません。最低限は勉強と向き合おうという話です。

ではようやくその理由をお話ししていきます。

生きていく力をつけるため

 結論からお話をすると、それは『生きていく力をつけるため』です。どういうことかをこれから詳しく書いていきます。

生徒、学生というのは、基本的には大人に育ててもらっている場合がほとんどです。しかし、そんな彼らも時が経てば大人になって自立しなくてはいけません。この自立して生きていく力をつけるために、勉強しなくてはいけないのです。

自立するとは、簡単にいうとお金を稼いで自分(または自分たち)の力だけで生活していくということです。そのためには、目標や課題を設定して、その達成や解決に向けて行動し続けることです。何も考えなくても生きていけるのは、よっぽど運がいいか親が大金持ちの人間くらいです。大多数の自立した大人というのは、自分で考えて、行動を起こして、うまくいかなかったことを改善して、また考えて行動して、、、の繰り返しです。この一連の流れを学び経験するために、学校で勉強しなくてはいけないのです。大袈裟にいうと、学生や生徒の期間というのは、生きていく力を身につける最後のチャンスの期間かもしれません。

小学生なら、テストの点数を目標にするといいかもしれません。最低でも〇〇点取れるように、今の自分はどの教科がどのくらいできて、あとどれくらい勉強したら大丈夫そうかな?といったような目標設定でもいいかもしれません。

中学生であれば、受験や内申点が一番わかりやすい課題であり目標設定なのではないでしょうか。

高校生以降は義務教育ではないので、今回は割愛します。

『じゃあ学校の勉強じゃなくても、スポーツとか課外活動でもいいんじゃないの?』と思われた方もいらっしゃると思います。

もちろん、それでもいい経験はできると思いますし、最初はそういうところから始めてもいいと思います。しかし、学校の勉強とは根本的にちがいます。なぜなら、それらは学校の勉強と違い自ら選んだ分野だから、つまりある程度は『好きなこと』をできている状態だからです。そしてそこで出た課題に取り組むことは、学校の勉強に比べるとそこまで苦にはならないからからです。

それに対して学校での勉強は、『なぜ学校の勉強をしなければいけないのか』という疑問を抱くような子にとっては、勉強するということはもはや理不尽な苦行と言っても過言ではありません。そのような子たちが学校の勉強をする意味は、先述の通り『生きていく力をつけるため』です。

大人の皆さんなら誰でも経験があると思いますが、やりたくないけれどやらなければいけない状況。特に仕事でそういう経験をされた方が多いのではないかと存じます。99%の人間は好きなことだけをして生きていくことはできません。自分が好きなこと以外のこともやっていく必要があるのです。もっと言えば、たとえ好きなことを仕事にしているような人間でさえ、やりたくないことをしなければならない事はたくさんあります。

つまり、やりたくもないけど、これをやらなかったらお先真っ暗かも、、、という経験ができるのが『学校の勉強』なのです。生きていくための予行練習、そんな感じでしょうか。

次は、学校の勉強そのものが持つ『学校の勉強をする意味』について書いていきます。

可能性を広げる

 先ほどまでの理由とは少し意味合いが異なってきます。これは私が塾で働いていた時に子どもたちによく言っていたのですが、勉強の仕方を知っていることや勉強そのものができることで可能性が広がります。これはどういうことかをもう少し詳しく書いていきます。

当時の塾ではこんな悩みを持った子がたくさんいました。『行きたい大学、なりたい職業がわからない。でも周りが勉強してるし、なんとなく大学には行きたいから勉強するけど、いまいちやる気が出ない。』

それでいいと思います。

というか、それが普通なのかなというのが本音です。ほとんどの子がそうなのではないでしょか。ただ、やりたいことやそのために進むべき進路が見つかった時に、準備をしていたかどうかが大きな差になります。私は大学受験に携わっていたので、どうしても内容が受験に寄ってしまいますが、この準備をしっかりしていた子が目標を見つけた時の爆発力、これはすごいものがあります。みるみる実力をつけていき、選択肢も増えていきます。つまり可能性が広がるということです。

そしてこれは生徒や学生だけでなく、大人にも同じことが言えるのではないでしょうか。

大人になってから本当にやりたいことが見つかる方もいらっしゃるはずです。そういった方達が過去に勉強に向き合っていたか、なんとなくの知識の記憶があるのか、勉強の仕方を知っているか、これらの差は可能性の差と言えるのではないでしょうか。いずれにせよ、勉強をして損という事はないのではないかと私は考えます

よく遊ぶこと

 最後に、遊ぶということを大切にしてください。冒頭でも書きましたが、何も24時間365日、ずーーっと勉強する必要なんてありません。最低限の勉強はしなければならないし、なぜ勉強しなければいけないのかという話をしてきました。それ以外の時間は、しっかり遊ぶなり、やりたい分野のことに打ち込むなり、好きなことに時間を使ってください。その中で勉強では培えない非認知能力(コミュニケーション能力、社会適応能力、グリッド力などを総称する能力)を養ってください。どちらかに偏ってもダメだと思います。バランスよく、勉強も遊びも楽しんでいきましょう。

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ライター紹介

三重県伊勢市出身。文藝春秋で2年ほどコラムを書いた経験から、文字を通じて伝えることの楽しさを学ぶ。同誌で2022年度コラム部門新人王受賞。自身をはじめ、様々な人の人生から得た学びを伝えていく。

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